漆を着る

                      

 今日我々は、淘汰と進化がうけて残るべくして残った「空間」の中で生活している。日本の家屋にはやはり和室や畳も存在するが、西欧文化の到来を受けてその数は大幅に減った。桐ダンスを所有する納戸も減少している。かくして、日本の工芸品を飾る床の間も少しずつ減り、和服をしまう場所も減り、そういった空間丸ごとが日本の伝統工芸品を追い出しているように見える。

 しかしながら、日本人の生活で根本的に変化することのなかった要素は多々あって、そこから派生する品々の需要も数知れず、と言える。谷崎潤一郎氏は著書『陰翳礼讃』の中で、日本食はどうも瀬戸物の茶碗の中で、また暗い茶室の中で「美味そう」に見え、一方で西欧食器ではなかなか食欲をそそらないのだといったが、我々の生活にはまず、合理的に誕生した居住空間があり、また同様に合理的な食文化が存在し、この前提を踏まえた「ものづくり」は、やはり日本的な空間を蔑ろにすることはなかった。

 同時に、なぜ今日まで米食が続くのか、なぜ茶を飲むのか、あるいは室内の土足を嫌う所以を問われると、その慣習の釈明は難しい。民族学者柳田國男氏が日本人の農耕民族たるゆえんを述べるうえでも、例えばイモの発見によって狩人精神が削がれたしまったことなど地理的な発端は説明できても、そのイモ食に「甘んじた精神」のほうの解明はおそらく甚だ難解である。年月が刻み込んだそういった根本的精神や慣習の継続は、独りでに生き続けているのである。

 そのような繊細な精神は遺伝する、ある種絶対的なものであり、それをささえたものづくり、今日の伝統工芸も、やはりある種の絶対芸術と考えて差し支えない、伝統工芸は「日本」を「日本」と定義する要素の一つであるといえる。

 「絶対」価値をもつだけでその存在意義確約される、といいたいところだが市場はそう甘くない。きりきり舞いの現代人の毎日に入り込むにはその生活を理解し、現代における合理的な需要を改めて理解することが、伝統工芸にも求められている。

 それはすなわち、伝統工芸が単なる「絶対価値を持つ鑑賞芸術」から「その機能性ゆえ日常で使いたいプロダクト」へと、芸術からモノへの逆行転換を求める考えである。工芸発祥当時のような発見、模索、実験、が今こそもう一度行われていいのではないか。

 「漆」は長い間日本人の住宅と食文化において重要な役割を担ってきたが、それは漆が日本人の生活と合理的に噛み合っていたためである。はたして我々の実験の結果「漆」が食・住から、現代の衣にまで及ぶ可能性はあるのか。我々はこの検証を行うべくして、それぞれの服作りを行ったのである。

 思い描く特有の素材感は、従来の製作手順を覆す機能は、望まれる色調は、ここへきて「漆」によって表現されうるかもしれない。


[ご挨拶]

ご来場、誠にありがとうございます。

本展覧会ではクリエイターの表現力を活かす「漆」と、日用品として使えるものに応用した日常での「漆」を、ご来場者のみなさまに体感していただくことを念頭に置き、播与漆行さまの協賛・監修の下、文化服装学Ⅱ部1年生の9名で開催させていただきました。ごゆっくりご覧ください。

 


 

 写真:鳥海陽波

   文:中村理彩子


CONCEPT